「広告代理店のみなさまへ」

絶望も希望も抱えてきた海、想い出を、希望をつくる夏がきた。

どちらかといえば海は苦手だった。

赤く焼けるし、クラゲで痛いし。なにより遊んだあとにベタつくし、足に砂がまとわりつくし。

ずっと不快がまとわりつく。

「ビキニ姿の女の子が!」なんていう情報も、目の前を知らんぷりして通りすぎていった。こっちだって、見せる色気は苦手なんだ。

いっちょまえにエメラルドグリーンの海にあこがれて、ニューカレドニアにも行った。けれど、想い出はいつも旅路。海で遊んだことなんて「キレイだったな」でおしまいだ。

海とは縁のない人生をおくるものだと思っていたし、そう願っていた。

だけど12年前、親になって変わった。

むしろ海を求めるようになった。

はじめは子どものために。自然にふれて欲しくて、海を好きになろうと努力していた。

よちよち歩きだった息子は、おそるおそる波に足をつけると、無垢なひとみが絶望に染まっていった。視線を落とすと、手まねきする波が足元にある砂をさらっている。

逃げるように、おおきな声でヤイヤイ泣いた。

あれは、日本海だった。

娘にとって、はじめての海は太平洋だった。とことこ歩いていって浅瀬にすわりこむと、波がやさしく彼女をつつみこんだ。

みずから顔をつけては、おおきな声でケラケラ笑っていた。

親になって、海は想い出になった。

いまや、夏の足音がひたひたと聞こえるだけで駆けつけるようになった。人があまりいない、ひっそりときらめく海へ。

地球にふりとばされると、そこはシンとした暗闇だというのに。

宇宙に散らばってゆく、わずかな光をかき集めて。今年も海はかがやいていた。

ジリジリと照りつけはじめた太陽を避けて、汗ばんだ背中をコンクリートの壁につけるような、ヒンヤリとした心地のいい波。

ふくらはぎが海につかったころ、あたり一面に「光」がゆらめいた。ありったけの希望につつまれた気がして、カメラを手にしたままヒザを落としそうになった。

子どもが海を好きな理由が、分かった気がした。

帰りの車中、まだ海が恋しくて。

ファミマのチョコミントフラッペを食べながら、暗闇のもとへ帰っていく海に別れをつげた。

また、想い出をつくりに海へいこう。