「好きなことをして生きる」は、必ずしも「自由に生きる」ではない。

こんにちは、ひろゆきです。

よく「好きなことをして、自由に生きよう。」という話を聞きます。

この言葉に、僕は縛られることが多くて「好きなことをしないと!自分の好きなことって何だ?」と問いかけながら模索していました。

もちろんケールは好きだけど、それはあくまで好きな「モノ」。

好きなことをして自由に生きるって、つまり「好きなライフスタイルを楽しもう」という生き方のことだから「ケールが好き」はちょっと弱くて。

「毎日スパイスカレーを食べてます!」と「クミンシードが好き!」の違いかな。

好きなことをして生きる

以前は、「スパイスカレーだけ食べて生きます!」と言いたかった。

でも、それができなくて「自分は好きなことすら一つもないのかな」って悩んだこともありました。だけどね、ふと思ったんです。

ひょっとして自分は「好きなように生きている」のかなって。

つまり日常を愛する能力に長けているから、別にひとつに絞らなくても毎日を楽しく生きているのかもしれないって。

裏返せば「好きなことをして生きる」人は、日常を愛せない人なのかもしれない。

日常を愛せる人って、好きなことを決めなくても、「ブレながら生きる」ことでいろんな「楽しい」を発見できる人。

自由に生きる

日常を愛せない人にとっては「好きなことをして生きる」ことが、自由を感じる瞬間。

日常を愛せる人は、普段のように「ブレながら生きる」ことが自由を感じる瞬間。

たとえば「アドレスホッパー」という定住せずに移動しながら生活するライフスタイルは、日常を愛する能力に長けている「ブレながら生きる」人は自由を感じるはず。

逆に、一芸に秀でている人は、ああいう生活は耐えられないと思います。

どれだけ日常を変えたって、日常を愛せないのだから。

「自由に生きる」というのは、

  • 好きなことをして生きる
  • ブレながら生きる

という2種類のタイプがあっていいよね。